日本で「アメリカナイズされたわね」は、誉め言葉ではありません。「日本人同士なら知っているはずの暗黙の了解を、言葉を理解できないアメリカ人のように無視する人」というレッテルなのですから。そういわれたら反省して、「日本人らしら」を取り戻す努力をすべきなのかもしれません。
では「アメリカナイズされた日本語」って、そうでない日本語と比べて何が違うのでしょう。「アメリカナイズされる前の日本語」を取り戻すにしても、その違いが分からないと先に勧めませんよね。前回のブログで話した「主語をはっきりさせない」のほか、何が考えられるでしょう。
- 主語のほか、目的語もはっきりさせない
- 主語と述語のねじれがおきやすい
- 背景情報など、前置きが長い
- 「ではないでしょうか?」「かもしれません」を多用し、自分の言いたいことをはっきり言わない
- 「~ですが、」を使って、一文のなかに多くの情報が詰まっている
- 「赤と白」と言いきらず、「赤と白など」のように「など」を使ってカバー範囲を広げる
「アメリカナイズされた日本語」が上に掲げた問題を含まない文章だとしたら、それは「誰にでも分かりやすく、英訳しやすい日本語」のこと。分かりやすいなら、コミュニケーションがスムーズになるはずです。つまり、「アメリカンな日本語」だって、悪いことだらけではないのです。(続く)